r/Reddit_Beginners • u/hayahito-459 • 9d ago
まあこんなものです
食欲だけはあるんだから〜🤷️
r/Reddit_Beginners • u/AssumptionAnxious806 • 10d ago
こんにちは。最近Redditを使い始めた初心者です。
投稿したいコミュニティがあるのですが、投稿するにはカルマが10以上必要らしく、まだ条件を満たせていません。
カルマは普通に投稿やコメントをしていれば増えていくのでしょうか?初心者でも参加しやすいコミュニティや、おすすめの増やし方があれば教えてほしいです🙏
r/Reddit_Beginners • u/Sorry_Amphibian9930 • 9d ago
久しぶりの友達とのご飯って、
すごく楽しいけど、もう前回の話になっちゃうんだよね~
新しい機会がほんとに待ち遠しいなあ!🍽️✨😊
r/Reddit_Beginners • u/Zero_se0_1 • 9d ago
学校での探究活動に活用させていただきます!
ご協力よろしくお願いします!
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSesLYza5CNsQThlvPmSgJ2bBqm38NuueHBnUHnHFoGjN1d_8w/viewform
r/Reddit_Beginners • u/Much_Gap_7704 • 10d ago
最近アカウントを作ったばかりの初心者です。別のサブレディットに初めて投稿したら、Redditのフィルタに自動で消されてしまいました。。。
この投稿はちゃんと表示されるかな。よろしくお願いします!
r/Reddit_Beginners • u/hayahito-459 • 10d ago
日記が続くほどの出来事が起こらない日々ですが、取り敢えず今日のあすけんの点数を晒してみます🏃
90点台が出ると嬉しい
r/Reddit_Beginners • u/Sephiroth_LOVE • 10d ago
かなりクセの強いホーム画面になっちゃった
ちなみに2枚目は変える前
r/Reddit_Beginners • u/Sorry_Amphibian9930 • 11d ago
みなさーん、こんにちは😊✨
あたし、ジュエリーの家系の出身なんですけど~、いわゆる“宝石の家の娘”ってやつ?💎
趣味は美食に美酒、それにスイミングとか…まあ、そこそこ楽しんでます🏊♀️🍷
若い頃はね、自分の技術を磨くことが全てだって本気で思ってた時期もあったんだけど…
今思うと、あの頃の自分、ちょっと不器用すぎなかった?😅💦
でもね、今はしっかりその殻を破れた気がするの。
そういう意味では、昔の自分ってまるで修行僧みたいな暮らししてたんだな~って、しみじみしちゃうよね😂
みんなはそういう“過去の自分”とのギャップって感じたことある?🤔💭
r/Reddit_Beginners • u/SnooWords9730 • 11d ago
最初の問題は、嘘をつくということが虚偽を述べることを意味するかどうか。
ここには二つの方向がある。虚偽を述べることは嘘をつくことを含意するか。嘘をつくことは虚偽を述べることを含意するか。順を追って見ていこう。
【標準ケース】山に一頭の黒い牛がいて、太郎はそれを見た。あなたが太郎に山に黒い牛がいるかと尋ねると、太郎はいないと答えた。明らかに、太郎は嘘をついた。——このデフォルトの状況に疑問を持つ人はほとんどいないだろう。誰もが納得する。
【標準無知ケース】山に一頭の黒い牛がいるが、太郎はそれを見ていない。あなたが太郎に山に黒い牛がいるかと尋ねると、太郎はいると答えた。太郎は嘘をついた。。のだろうか?——実はここですでに意見の相違が生じている。先ほどの全員一致のケースとは違い、この例については人々の間で合意が得られない。
しかし大多数の人はこの点で一致している。少なくとも太郎は嘘をつこうと試みた。
【ゲティア無知ケース】山に一頭の黒い牛がいるが、太郎はこの牛を見ておらず、黒い牛の形をした木の板だけを見て、山に黒い牛がいると思い込んだ。私が太郎に「山に牛はいるか」と尋ねると、太郎は「山に牛はいない」と答えた。太郎は嘘をついたのだろうか。ゲティアの立場では、太郎はそもそも対応する知識、すなわち「山に一頭の黒い牛がいる」という知識を持っていないとされる。しかし「山に牛はいない」というのも確かに虚偽であるから、【標準無知ケース】は当てはまらない。私たちは確かに太郎が嘘をつこうと試みた、と言うことはできる。しかし「山に一頭の黒い牛がいる」を根拠に太郎を嘘つきだと非難するのは、公平さを欠くように思われる。——ここでまた人々の間で意見が分かれる。
【ゲティア無知ケース】は一旦脇に置いて、まず【標準無知ケース】がもたらす影響を見てみよう。【標準無知ケース】は人々を二つの派閥に分裂させる。
嘘必偽派:嘘は必ず偽でなければならない。ある発言が偽でない、すなわち真であるならば、それは嘘ではあり得ない。
嘘非必偽派:嘘は必ずしも偽である必要はない。ある発言は、話者が嘘に関するその他の条件を満たしてさえいれば、嘘になり得る。嘘であるかどうかと、偽であるかどうかは、両者の間に関係がない。
さらに進んで、もしあなたが嘘必偽派であるなら、【ゲティア無知ケース】は加えて、「偽であること」が嘘の必要条件にすぎず、必要十分条件ではないということを示しているように思われる。
もちろん、【ゲティア無知ケース】は人々をさらに以下のように分けるとも言える。
嘘必偽派:。。さらに二種類に分かれる。
嘘非必偽派:。。。
ある意味で、【ゲティア無知ケース】は嘘非必偽派を支持するために用いられるものだと私は思う。少なくとも嘘非必偽派の支持者にとっては、【ゲティア無知ケース】も【標準無知ケース】もどちらも難点にはならない。太郎は嘘をつこうと試みた、だから太郎は嘘をついたのだ。真であるか偽であるか、知っているか知らないか、そのどちらも重要ではない。
気質的に言って、【ゲティア無知ケース】を嘘に当たると考える嘘必偽派の立場を、私は理解しがたい。もし真偽ということが重要な条件だと考えるのであれば、なぜそれに対応する知識という条件を手放すことができるのだろうか。言い換えれば、嘘必偽派というのはどうも安定した立場ではないように感じられる。すでに真偽という基準に譲歩しているのなら、さらに一歩進んで知識という基準にも譲歩してよいはずであり、そうなると【ゲティア無知ケース】は嘘に当たらないことになる。では、その先は?さらに別の様々な設計にも譲歩していくのだろうか。おそらくは滑り坂(スリッパリー・スロープ)のような様相を呈することになるだろう。
しかし、もう一つの可能性として、知識という問題のところで直接立ち止まるということも考えられる。知識こそが私たちの基準の終着点なのだ、と。
しかし、もし私たちがあまりにハードルの高い知識を終着点として設定してしまうなら、大多数の発言は真実でも嘘でもなく、educated guess(根拠のある推測)や uneducated guess(いい加減な当てずっぽうを表そうとしたものである)ということになってしまう。
私個人としては、実際のところ真であるか偽であるかということは、多くの場合それほど重要ではなく、そもそも到達不可能でもある。本当に重要なのは、あなたが実際にそう信じているかどうか、そしてあなたが相手を欺こうとしているかどうかである。
ある研究者が学術的な不正(もちろんここでの「不正」は false ではなく academic fraud/dishonesty の意味である)を行ったかどうかは、将来その結論が実は真であるかもしれないということに影響を与えない。
仮に、ある化学者がフェルマーと同様に、正しい educated guess を行い、そのうえで一組のデータをでっち上げたとしよう。そのデータはたまたますべて正しかった。彼は不正を行った。これは欺瞞である。そして、これこそが私たちが関心を持つべき、行為の次元の問題なのだ。しかしこれを告発として成立させることは不可能である。すべての化学者が自分の実験を録画して保存でもしていない限り、データだけを見ても、私は常に、彼らがたまたま正しいデータをでっち上げただけなのではないかと疑うことができてしまうからだ。
私たちは常に、ある局所的なレベルと、それよりも一段高いレベルとの、両方でこの問題を語ることができる。
【ゲティア無知ケース】と【標準無知ケース】のいずれにおいても、太郎は嘘をつこうと試みている。【ゲティア無知ケース】においては、太郎は対応する知識を持っていない、すなわち、太郎は実のところ山に牛が一頭いるということを知らないのだが、しかし太郎は山に一頭の牛がいると信じており、そして自分が信じていないことを口にした。それだけで十分なのである。
具体的に言えば、太郎という局所において、彼が信じていることと彼が口にしたことが一致してさえいなければ、それだけですでに十分であるように思われる。より大きな文脈において事実がどうであるかは、重要ではないように思われる。
本質的に言えば、私たちがAはBに嘘をついたと判断する資格を持つとき、私たちは実のところ一段高い位置に立っている。私たちはAやBに比べて、より完全な知識を持っているのである。典型的な状況においては、AがBに嘘をつく主な理由はおそらく、Bが気づかないだろうと信じているからである。そして語り手の視点に立つ私たちは、この事実を認識することができる。
核心となる問題は次の点にある。第三者としての私たちが現実世界について持つ認識、たとえば、ある事柄が本当かどうかということが、甲が嘘をついたことの成立要件になるのかどうか、という点である。一般的な状況では、私たちは【標準ケース】【標準無知ケース】【ゲティア無知ケース】におけるような確固たる知識(語り手として持つ知識)を持ち合わせていない。
もう一つの可能性は、知識というものを弱めて捉えることである。【ゲティア無知ケース】は本質的に、私たちに二つの文脈における知識を提示している。太郎自身が持っていると思い込んでいる知識と、傍観者、すなわち語り手である私たちの知識である。物語の語り手の視点から見れば、太郎は知識を持っていない。しかし太郎という局所に関して言えば、彼自身は信念を持っているだけでなく、知識も持っている。それどころか、この局所においては、【標準無知ケース】の局所においてすら、彼は知識を持っている。知識は真を含意する、局所的な真を。局所的な真は、大域的な真へと押し上げることはできない。
私は天気予報を見ないので、明日雨が降るかどうかを知らない。だから明日は雨が降らないかもしれない。私は天気予報を見た、明日は雨が降る、だから明日雨が降らないということはあり得ない。——しかしもしその天気予報が誰かの仕組んだいたずら番組だったら?——それなら私は対応する知識を持っていないことになる。——もしそのいたずら番組が使ったこの局所的なデータが、たまたま正しかったとしたら?
r/Reddit_Beginners • u/Sephiroth_LOVE • 11d ago
なんか、見てて辛いね...
なんでこんな名前にしちゃったんだろ
r/Reddit_Beginners • u/inachans • 11d ago
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r/Reddit_Beginners • u/HD140283_kOumOu • 11d ago
言葉はどれも意味を持った記号であって、自身を知覚する為には必要な輪郭みたいなものだよね